fate/stay night

まあ昨日書いたようなことはエロゲーにとっては無粋なことなのかも知れない。でもやっぱり自分は、現実世界から「萌え要素」だけをぺりぺりと引き剥がしてパッチワークしたようなキャラ(凛とか)みたいなのには違和感を覚えてしまう。きっとそれを受け入れられるかどうかがエロゲーマーと一般人を分ける境界線なのだと思う。ゲーマーは現実世界とゲーム世界を見事に分離させることができるから、「正義の味方」という言葉がいくら現実世界にあったとしても「それはゲームの中だけで通用する概念だ」と割り切ることができる。
似たようなことはハリポタを読んだ後にも起きる。楽しい楽しい魔法の世界で、ウラオモテの無い純粋な少年少女たちが活躍する。そんな世界の中で丸一日(読書時間で)過ごせば、現実の世界に戻りたくなくなるというもの。エロゲーは日常を描いているようで、それはファンタジー並に省略と想像の手を加えた現実なのだ。
そして、現実世界に戻って落胆する。ゲームや小説の中とは違って「自分が何のために生きているのか」ということすら曖昧な世界。愛や正義だけではどうにもならない世界。それをみて落胆する。そんな時、自分を納得させるか、それとも空想の世界に戻っていくかはひとそれぞれの自由だ。
さて、桜ルートやろうっと。